映画『碁盤斬り』を見てきました。

ねこの写真は釣りです ほり
棋士がいっぱい出演しているということで囲碁界隈で話題になっていた『碁盤斬り』を観てきました。

落語『柳田格之進』を下敷きにした時代劇です。物語の重要なエッセンスのひとつが囲碁であるため、囲碁界隈では撮影当時からけっこうな話題になっていました。
夫はそこそこの囲碁ファンで、私も弱いながら打てます。そして、熱烈な落語ファンではないものの寄席には20代後半からちょいちょい通っています。
ごく自然な流れでこの映画を見に行くことになりました。

結論から言うと、突っ込みどころ満載でなんだかなあという気持ちです。以下、ネタバレありの感想。なお、あらすじを示すことはしませんので、映画を見ていない人には何のことやらとなります。

▼突っ込みどころ

  • 萬屋の登場シーン、態度に品がなさすぎ。まるでチンピラ。大店の旦那なら、意地悪だろうと冷徹だろう相応の慇懃な態度で行われるべき。
  • 柳田vs萬屋の初戦、柳田が勝ち碁を投了した理由が説明された後でもわからない。「以前、囲碁で相手の態度に腹が立って心が乱れたのを思い出してしまい…」という趣旨だった??負けたら萬屋が暴れると思ったということ??よくわからない。
  • 五十両窃盗の疑いをかけられた柳田、身の潔白を示すために切腹を決意。ここまではまだ「融通利かない石頭だからおかしなこと考えたんだな」でなんとか飲み込める。そのあとがひどい。吉原の大店の女将お庚に「わし切腹するから娘の行く末をよろしくね」って手紙で伝えるのはなぜ?だれかに伝えるとしても縁続きの武家に頼まない?娘買ってくれってこと?
  • 賭場の席主、秘密の賭け碁会に一見の浪人者を土下座したぐらいで入れてしまう。セキュリティ大丈夫か。
  • 敵討ちやのになぜか囲碁で勝負。ちゃんと果し合いしなさいな。
  • 敵役の柴田兵庫(自分の横領の罪を柳田に着せ嫁まで手籠めにした鬼畜)、負けそうになったからって刀を振り回す。武士なのに。そもそも入口で武器は預かるシステムとちゃうんかい。その癖、腕を斬られて勝ち目がないと見るや「切腹したいから介錯してくれ」。それを受けて首を落としてあげる柳田。いや、ちゃんと藩に突き出してよ。この15分ぐらいの流れ、突っ込みどころ多すぎて、全部に言及できない。悔しい。
  • 失せた五十両が出てきて冤罪が晴れ、キレた柳田は自分に罪を着せた弥吉とその主人である萬屋ふたりの首を貰うと言う。タイトルにもなっているこの映画のハイライト。主従がかばい合い、自分は斬られてもいいから主人を/弥吉を見逃してやって欲しいと懇願する。しかし物語の前半で主従の絆が語られていないため、かばい合いに説得力がなく唐突な感じがする。元の落語に弥吉は登場しない。「柳田が五十両を取った」と言い出すのも最後に萬屋をかばおうとするのも番頭。番頭は店を預かる身として「うろんな浪人者=柳田を出入りさせるのは店の信用に関わる」と考え「なくなった五十両は柳田が持って帰った」と断じた。萬屋は、柳田に罪を着せた番頭の言動そのものは許し難いと思いながらも、あくまで店と自身への忠義心からの行いであると理解し信頼を寄せている。この主従の情が五十両紛失事件のときにきちんと描かれているから、最後のかばい合いに説得力が生まれる。しかし映画では萬屋と弥吉の関係がふわっとしか描かれておらず、憤怒の柳田から身を挺してまでお互いをかばおうとする理由が見えないのである。
  • 柳田、自分に盗みの罪を着せ、娘が吉原に身を売るきっかけを作った男に娘を嫁がせる。
  • なによりラスト。曲がったことがどうしてもできないはずの格之進が、藩主の掛け軸を持ち逃げ。曰く「金が要る」。いや、だったらふつうに仕官しろよ。殿も帰って来いって仰せやのに…。

▼突っ込みどころではない、感想とか気づき

  • 棋士が五人も出てたのに、誰一人見つけられなかった。どこに誰がいたんだろう。
  • 最後の命がけの碁以外、盤面全体を見渡すカットがほぼなく、緊迫してっぽい囲碁シーンのほとんどでどういう局面なのかわからなかった。プロがいっぱい関わってるのにもったいない。ほぼすべての囲碁シーンにキャラの棋力やストーリー展開に合った盤面を用意した『ヒカ碁』は偉大である。読者は囲碁なんか見たこともない小学生。誰も見ないかも知れないところでもリアリティを疎かにしないジャンプ、えらい。
  • 石が平べったい。碁は江戸時代ぐらいからプロ制度が成熟し文化として洗練されていったそうで、この頃にはもう道具も日本独自の進化を遂げて丸くなったのではって思ったんですが。時代考証はされてるはずだからたぶんこれで正しいんでしょう。日本の碁石はいつ頃から丸くなったのかな。
  • 吉原の姐さんが自ら身を売りに来た娘の心意気を買って金を出し、「大晦日までは預かって私の身の回りの世話をさせる。しかし少しでも返済期限をわずかでも過ぎれば心を鬼にして店に出す」と言ったのは、『柳田格之進』ではなく『文七元結』の設定。私は原作厨ではないので、設定の流用には特に異議ありません。娘の体がきれいなまま帰ってくるのでなければ、現代の視聴者はちょっと胸糞悪くて耐えられないでしょう。

という私の思いとは無関係に、レビューサイトではなかなか評判がいいようです。感じ方は人それぞれですね。
中には私と同じところに違和感を覚えた方もいるようで、私だけが殊更にひねくれてるわけでもないんだと知ってやや安心しました。
「碁がわかればもっと話を楽しめたのでは」的なレビューをいくつか見ましたが、盤面には特に何もありませんでした。ただし、夫曰く『最後の命がけの碁は、ちゃんと気づきにくい勝ち筋が仕込まれててよかった』そうです。

帰りは尼崎駅前の「あまや」さんでおいしいご飯とお酒をいただきました。おいしいは正義
その様子はGoogleマップに投稿していますので、お暇な方はご覧くださいね。
大衆酒場 あまや

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